みなさんこんにちは。できそうでできない、しかし神が常に人に求めておられること・・・、
御言葉からいつも心に染み入っている言葉に触れてみたい・・・そう思います。
聖書は、ミカ書6章8~9節です。
「人よ、何が善であり/主が何をお前に求めておられるかは/お前に告げられている。正義
を行い、慈しみを愛し/へりくだって神と共に歩むこと、これである。
主の御声は都に向かって呼ばわる。御名を畏れ敬うことこそ賢明である。聞け、ユダの部族
とその集会よ。」
・・・主である神が求めておられることを明瞭に述べる聖句です。
主は、『正義』すなわち人の正しさでなく神の義、正しさをまとってかつ、『へりくだり』神の前
に高ぶらず身を低くし仕える、それが求められている・・・まさしく神に自分の『思い』だったり
『願い』を傍らに置き委ね切る・・・そう語っている聖句だと理解できました。
しかし、私たちの・・・いや私の日毎の思いは何とこの御言葉から遠いことでしょうか。
『善』の概念も人間的に正しいことをいわゆる『善』と思いがちですが、これは御言葉の基
準からはずれている・・・そう思わされます。
「主の御声は都に向かって呼ばわる。御名を畏れ敬うことこそ賢明である。聞け、ユダの部
族とその集会よ。」
・・・何と、『賢明』すなわち人間の賢さの基準も人が思うのと神が思われるのとは異なるこ
とが読み取れました。御言葉に依れば主の、神の御心は人が主を、神を恐れないならば
分からない、悟れない・・・何気ない生活の感覚では悟れない貴重なメッセージをいただく
ことができました。
もう一か所、主のおっしゃる『善』と人間的『善』とはかくも異なるという聖句をもう一か所
味わってみたいと思います。詩篇37篇1~7節です。
「悪事を謀る者のことでいら立つな。不正を行う者をうらやむな。
彼らは草のように瞬く間に枯れる。青草のようにすぐにしおれる。
主に信頼し、善を行え。この地に住み着き、信仰を糧とせよ。
主に自らをゆだねよ/主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
あなたの道を主にまかせよ。信頼せよ、主は計らい
あなたの正しさを光のように/あなたのための裁きを/真昼の光のように輝かせてくだ
さる。
沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれよ。繁栄の道を行く者や/悪だくみをする者のこ
とでいら立つな。」
身を委ねて『悪』を行う者に腹を立てず・・・、人間的には心に困難を覚えるようなシー
ンですが主が、神が『悪』に対する対処の仕方も『人間の常識』でなく『信仰』によって捉
える他根本的な解決策はない、というかそれこそが究極の解決策であることを語ってい
るのが理解できました。神の未来を見通す目は人間のそれとは根本的に異なる・・・しか
し究極の祝福を最後には保証してくださるのです。
主は、人間的な思い、考えを信仰によって捉え直し、委ね切ることをこの2つの聖句で
裕に教えてくださったのです。最後に感謝をもって先の二つの聖句を味わい今日のメッ
セージを閉じたいと思います。
「人よ、何が善であり/主が何をお前に求めておられるかは/お前に告げられている。正義
を行い、慈しみを愛し/へりくだって神と共に歩むこと、これである。
主の御声は都に向かって呼ばわる。御名を畏れ敬うことこそ賢明である。聞け、ユダの部族
とその集会よ。」
彼らは草のように瞬く間に枯れる。青草のようにすぐにしおれる。
主に信頼し、善を行え。この地に住み着き、信仰を糧とせよ。
主に自らをゆだねよ/主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
あなたの道を主にまかせよ。信頼せよ、主は計らい
あなたの正しさを光のように/あなたのための裁きを/真昼の光のように輝かせてくだ
さる。
沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれよ。繁栄の道を行く者や/悪だくみをする者のこ
とでいら立つな。」
ゆだねて、信仰の目でもって歩む・・・その素直な信頼、信仰をへりくだって豊かに持た
せていただきましょう。
栄光在主 小ヨシュア