みなさんこんにちは。新年を迎えましたね、お変わりありませんか?
さて今日は、【真剣さ・・・神が見られること】と題してメッセージします。聖書はルカによる福音
書18章2~6節です。
「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わぬ裁判官がいた。
ところが、その同じ町にひとりのやもめがいて、彼のもとにたびたびきて、『どうぞ、わたしを訴
える者をさばいて、わたしを守ってください』と願いつづけた。
彼はしばらくの間きき入れないでいたが、そののち、心のうちで考えた、『わたしは神をも恐れ
ず、人を人とも思わないが、
このやもめがわたしに面倒をかけるから、彼女のためになる裁判をしてやろう。そしたら、絶え
ずやってきてわたしを悩ますことがなくなるだろう』」。
そこで主は言われた、「この不義な裁判官の言っていることを聞いたか。 」
この不義な裁判官は聖書の中では有名な箇所なのですが、この部分はとても深い語りのあ
るところと感じました。
「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わぬ裁判官がいた。
ところが、その同じ町にひとりのやもめがいて、彼のもとにたびたびきて、『どうぞ、わたしを訴
える者をさばいて、わたしを守ってください』と願いつづけた。 」
・・・『神を恐れず、人を人とも思わぬ裁判官』・・・そんな裁判官ってそうはいないと思うのです
がそんな相手であっても
『彼のもとにたびたびきて、『どうぞ、わたしを訴える者をさばいて、わたしを守ってください』と
願いつづけた。』のです。こんな相手でも『願い続ける』・・・この真剣さに裁判官は根負けした
というわけです。
・・・しかし、もちろんこのことは『たとえ』として書かれているのであり、この話題に隠された
相手は最後の審判者、主なる神様そのものです。その神様の心を真剣な願い・・・すなわち
祈りが変える・・・そんな譬に見えます。
私は、つたない自分の体験をいくつか思い返してみました。
9年ほど前、私は肝臓がんに初期ではありましたが罹ってしまい病気がちの子ども、転職
して間もない職場で正社員にまだなっていない・・・そんななかで心が張り裂けそうななか
ある宣教団の方に涙ながらにお祈りを依頼し自分自身も職場近くのスーパーでオリーブ油
を買ってヤコブの手紙5章に書かれた神の癒しを必死に祈り続けました。
その結果は3ヶ月後がん細胞の完全除去、再発の可能性が高いと言われた血液検査の
数値が検出不能になるという驚くべき形で神の執り成しを受けました。がんはさばく相手と
して書くのはどうかと思うかもしれませんが神は見事なさばきを下されました。
また、3年ほど前、職場で大幅な業務の見直しが図られて仕事の業務処理維持がむつ
かしくなってしまったとき、絶体絶命に思い必死に祈っていました・・・不思議なことに一つ
の案件は祈ってから30分後、もう一つの件は数日後、職場の上の方が不思議な形でそ
の救済をこちらの考えを聞き許可して下さり驚くべき形であっさり解決してしまいました。
また、職場の天井が破損して材料が落下したりしましたが、紆余曲折の末その場所が
気が付くと他の事務部は汚いままなのに驚くほど清潔なスペースに様変わりしたり、まず
は導入はありえないだろうと思っていた高額の印刷機があっさり事務所に購入設置され
たりとひたすら苦しみのなかで祈りつつ、日々働いていたら思い返すと信じがたい祝福
を受けていました。ルカによる福音書18章1節です。
「また、イエスは失望せずに常に祈るべきことを、人々に譬で教えられた。 」
・・・まさにそれを実感させる・・・そんな経験をさせていただきました。
少し時間が経つと、その恵みを忘れ神に聞くのを忘れてしまっている愚かな自分ですが
改めて『神のさばき・とりなし』は人の思い、考えを超えて素晴らしい・・・そう思い起しました。
最後は感謝と反省を込めてルカによる福音書18章7~8節をもって今日のメッセージを感
謝のうちに閉じたいと思います。
「まして神は、日夜叫び求める選民のために、正しいさばきをしてくださらずに長い間そのま
まにしておかれることがあろうか。
あなたがたに言っておくが、神はすみやかにさばいてくださるであろう。しかし、人の子が来
るとき、地上に信仰が見られるであろうか。」
神は公平に正しく報いてくださるのです・・・ただし、信仰をもって追い求めれば・・・です。
感謝をもって日々へりくだりつつ、祈りは聞かれると信じつつ歩んで参りましょう。
栄光在主 小ヨシュア